ひとつひとつ、繊細に縁取られたうすい色の睫毛の筋は、光にてらせばその奥の群青すらも
透き通らせる。つーと指でなぞるように湾曲した毛先に触れると、ふっと瞼がもちあがり、あたし
の目の前につめたい湖がひろがった、白々とけぶるような深さ、ふと、射られた視線につまる息。



「............何してんだ、?」

「みてた、景吾の目」



わかりやすい返答は期待していなかったが、という顔をして、軽く目をこすり跡部は膝にのせた
あたしを落とさないように、ゆっくりとイスの上で姿勢を正した、壁の時計に目をやり、窓の外の
暗い景色を一瞥し、日の暮れたふたりだけの生徒会室に自嘲するような、ひくい溜息がおちる。



「よく寝てたね」

「ああ、お前いつからいた?.......膝の上」

「15分ぐらい前」

「気づかなかったぜ」

「あたし、軽いから」



笑いとばせばいいのに、跡部はふわりと顔をあたしの髪にうめてから、気をとりなおすように視線を机の上にもどした。ちらばる窮屈な文字がつらなる幾重もの書きかけの書面、それらが、膝の重みにも気がつかないほどの眠りにさそわれるまでの、彼が忙殺されていた時間を物語る。あたしにはどうしようもない、触れる権限すらない跡部と誰かの先を決める文書達。骨張った手が律儀にペンをにぎりなおす、その指先のみなれたラケットの豆痕に、心がつぶれるようにズキリ、と痛くなる。

生徒会長と、テニス部の部長と、そして“彼”であること。



「...............全部ひとりでやろうとしちゃってさ」



聞こえたはずなのに、邪魔だ、とか、膝の上にのるな、とかひとことも言わずに跡部は左手であたしを抱えなおして、眉間に皺をよせて、さらさらと機械的な音をペンでつくってゆく。意識して体重をかけないようにしているけれど、やっぱり跡部に触れていたい勝手なあたしと、まわした腕に力を入れて、自分のやりたいようにやっているフリをする彼。やわらかい茶色の髪越しに流れるような文字の羅列ができてゆく、それにそってだんだんと濃くなる目じりの影、窓の外は、もう溶けるような暗闇ー..............



いつか、重いと、飽きたと、そう言ってペンを投げ出して疲労につかれた目を休ませればいい。
全部をのっかっているあたしのせいにして。
けれど、彼はそうしない。
彼は跡部景吾だ。





あたしのせいに、すれば、いいのに。






「お腹いたい」

「は?」

「死ぬほどいたい、景吾、かえろ」

「おい、だいじょ...............」

「いたいいたいいたい、死ぬ」




あきれたような懐疑的な視線が、いたそうにお腹をおさえて必死に顔を見上げるあたしを通って、数秒後ふっ、と受け入れるように、やわらかくなった。



「...............わかった」



あたしをイスに座らせ、ポンっと頭をなでて、車をよぶため携帯を片手に跡部は立ち上がる。疲れを消すように、きれいに背筋をのばした、その凛とした背中。ずっと、ずっと、みんなの前に立って戦ってきた王様のー




自分の少女らしい肢体をうっすらとながめて、あたしは思う。この、たった数キロの重さも持ちきれない両腕、白い白い首筋、日に透ける薄色の髪、すこし、高い声、甘いにおい、そうしてそれらすべての頼りないやわらかさが、彼の眉間の皺をふっとゆるませるために、あればいい。いや、そのために、今ここにありたい。そう思って、あたしは祈るように目をつぶった。


遠くで、跡部が携帯越しに夕食のため、どこかの店名を低い声でつげるのがわかった。
あっ.....あたしの好きなあのお店だ。なんだ、やっぱり、あたしのちっぽけな嘘はバレていたんだ。



もどってくる跡部のために、あたしはポケットからリップをとりだして、きれいな色をくちびるにのせる、そうして丁寧に躾けられた飼い猫のような行儀の良さでイスの上に体をあずけた。パタンと携帯を閉じる音がする、近づく革靴の輪郭、顔におちる影ー...............さあ、いますぐ、やさしくあたしにキスをして、その瞬間、花にも鳥にもなんにだってなって、ふり落ちるすべての重圧から覆い隠して、あたしがあなたをそっと逃がそう。

言葉にしたら、けなげでばかばかしくて、笑っちゃうなあ。


つめたいくちびるが頬に触れて、淡いピンク色をついばむ。心の奥でなにかが芽生えて羽ばたいてゆく強い感触に、あたしは息をつめて、泣かぬように堪えていた。










100517